常緑樹の森

関西の文系大学院生

ライトに生きる方法、どっかに落ちてないかな。

昔から自分の好きなものを表明するのが苦手だったし、何かを好きになろうとするとブレーキをかけてしまう癖がある。

別にどマイナーとかアングラみたいなものが好きなわけではないんだけど。特段はまったら沼なジャンルにいるわけでもないんだけど。むしろ音楽も小説も芸能人も、その時の流行の真ん中もしくはちょっと斜め下、ぐらいを好きになることが多かったかもしれない。

 

なぜか「大好き♡」って無邪気に言えないのだ。小学生ぐらいの頃は好きなものを聞かれるたびに一番無難(そうに思える)な答えを選ぶか適当に話を合わせるかしてたし、今でもTwitterやらなんやらで好きなものの話はほとんどしない。ほんとは愛を叫びたい。

「私はこれが好き!」って素直に言えちゃう人がまじで羨ましい。

 

気になるものの情報をネット検索で漁ったりYouTubeで連続再生したりしようとする自分を必死で止める自分がいる。昔自分がはまってた色々を思い出してよくわからん気持ちになるし、現在進行形で何かにはまっていく自分を見たくないと思ってしまう。

 

その理由の一つがたぶん途中から好きになる後ろめたさだ。

思い返してみれば、何かを世に出始めの頃から追っかけてた経験は皆無に等しい。

古参とか新規とかにわかとか、そういうゾーニングみたいなの大嫌いなんだけど、やっぱり古くからのファンの熱量みたいなのを前にすると「私なんかが好きって言えない…」って気分になってしまうし、昔のことを知らないことがすごく寂しい。

 

でもまあ何より一番大きいのが、私の性格的に「何かを好きになる=救いを求める」って図式になるからだと思う。

何かを好きになる時の気持ちって、「なんでも知りたい!近づきたい!」っていうエネルギー源になる場合と「生きてる理由はこれなんだ…(拝)」っていう延命装置になる場合がある気がする。前者はスイーツとかの嗜好品で後者は小麦とか米みたいな感じ。

私の場合は思いっきり後者で、「今週末のライブのためにがんばろ♪」ではなくて「今週末のライブを見るまで命をつないで生きていきます…」ってテンションでいる。

 

文系の院生なんてやってるような人間だから、刺激的で充実した生活とは縁がないし、昔から明るい性格なわけがない。部活の人間関係が嫌だった時、研究のタスクが多すぎてメンタルやられた時、いろいろあるけど私の平常モードはネガティブだ。だから何かに救いを求めて「あぁ…生きよう」ってなる。

そんな風にネガティブな方向に向いてるから「好き♡」って言えないし、本音では救いを求めてる自分なんて見たくないからブレーキをかけるんだと思う。

 

だからできるだけ、なるべく、ライトに生きてみようとするけれど、そもそも主食の米すら足りてないような人間がスイーツを食べるなんて発想になるわけがない。

きっと相手にとっては救いを求められるなんて迷惑極まりないんだろうけど、こっちなんて向かなくていいからずっと追いかけることだけは許してほしい。