常緑樹の森

関西の文系大学院生

尼寺的研究生活

私は今、博士後期課程の院生という世捨て人みたいな身分にある。

しかも人文系。もはや霞食ってるどころのレベルではない。

 

院生、とくに文系なんて「将来どうするの?」という憐憫と好奇と呆れの混ざった視線で見られることが多い。親やきょうだいや親戚にだって「まだ学生やってるの?」って会うたび煽られる。

 

まあでも、そんな世間体的なことはここではどうでもいいんだ。

だって私は自分で院生になることを選んだんだから。

 

私は博士後期課程に上がる時に大学を移った。ここではその顛末について書こうと思う。

修士課程までずっと同じ研究室にいて、分野内ではそこそこ大きいところで先生も有名な人だった。

じゃあ何で?

 

理由はいたって単純で、私はどうしてもそこの空気に馴染めなかった。

これだからゆとりは、って言おうと思ったでしょ?まあ聞いて。

 

そうすんなり就職できる世でもないので何年も老害オーバードクターやってるような人たちがごろごろいて、その人たちはもう学籍がないにも関わらず研究室にやってきては本来院生が使うはずの設備を占拠したり、酒盛りしたりまあいろいろやってたわけだ。

 

そんでもって酒の肴は誰か(主に後輩)の悪口で、本人がいようとおかまいなく悪口を言う。もちろん私も。

ちなみに教授には別に教授室があって、研究室にはほぼ現れない。

 

あと、学閥意識がやたらと強い分野だったのもある。他の大学の人の論文を引いてきた時の先輩たちのあからさまに曇った表情とか、教授の取り巻き化する先輩たちとか間近で見てさすがに引いた。

 

ちなみに私がお世話になった大学のカウンセラーは「体育会系の村社会」と評してた。

 

今こうやって書くと相当やばいとこだな。っていうか馴染めるわけがないわ。

あの人たち見てると人文系学部が縮小されてもざまあ!としか思えない。いや、もちろん縮小されると困るんですが。

 

以上がだいたい引き金になって研究室を移ることを決意した。

教授は、一連のあれこれを知ってたのであっさり承諾してくれた。(教授のメンツのために言っとくと研究室の現状をなんとかしようと動いてはくれてた)

 

ただ、さすがに研究室で大々的に「私、ほかの大学に移ります!」とかいえる空気ではないので、M2の夏ぐらいまで表面上は就職する体でいた。

 

ここで余談。顔合わせるたびに「就職決まった?どこ受けてるの?」って聞いてくるマジデリカシー(OLの牧くん風に)な2つ上の先輩がいた。

それにその先輩、私がほかの大学受けるって言った途端、「僕は自分が実力ないからわかるけど、君じゃドクターに上がるのは難しいと思うよ」「ほかの場所に逃げたら自分の才能が開花すると思ってるんでしょ?」とぬかしやがった。さすがに腹が立って、人生で初めて家族以外の年上に対して泣きながら怒ったのはまた別のお話。

 

 

そんなこんながありながら無事に編入試験に合格し、博士後期課程の院生になった。

今いるのは学際的な研究室で、下に直接の学部がない研究科である。いったん就職してから院に入りなおした人、私みたいにそれまでの専門の「枠」を超えて移ってきた人が多い。しかも圧倒的女性率の高さ。(前の研究室は人文系だけど8割男だった)

 

そんな場所なので基本的に学閥も存在しない。

 

なんか尼寺みたいだな、と思う。しかもわりと山の方にあって山寺っぽくもあるし。

各々がそれまでの何かを捨てて研究生活という名の修行をしている。

いろんな人からいろんな刺激を受けて、今が院生生活の中で一番楽しい。

 

修士課程の2年間、肺のあたりをぎゅうっと締め付けられるような気分を覚えていたことがよくあったけど、最近ようやくなくなった。

まだ、研究室を移ってきた本当の理由は言えてないけど。

 

蔵書や知名度やコネでいえば前の研究室の方がずっと有利だ。

いろいろあったけど、私の研究の基礎を作ってくれたことには感謝してる。

 

だけど、それを捨ててここに来た以上は私個人の実力が試されるのだ。前よりもずっとずっと個人プレーの世界なのだ。

でもそれってすごくわくわくすることだ。

 

 

特に盛り上がりもオチもないけど。

環境やチャンスを自分で吟味して選ぶことって当然ながら院生にとって大事だと思う。所属する学会もそうだし、どんなキャリアのためにどんな人と繋がりを作っとくか、どんな論文を書くか。もちろん、どんな研究室に身を置くか。

私もまだまだだから、とにかく頑張るしかない。